RISEN よみがえられた

イエス・キリストの復活を裏付ける証拠には何がありますか?

まず、この話題に関しては実に多くのことが語られてきたと言わせてください。これまで、様々な証拠について詳しく書かれた、何千冊もの書物が出版されてきたと考えられます。

(少なくとも英語では)覚えやすいように、R.I.S.E.N.つまり「キリストはよみがえられた。たしかによみがえられた」という単語の頭文字から始まる5つの証拠に集約して、順にお伝えしていきたいと思います。

(R)キリスト教はエルサレムでおこった

次に言う事は、周知の歴史的事実です。クリスチャンの信仰は、(その指導者の復活を説くことに礎を置いて建てあげられた宗教であり、)紀元後32年か33年に、まさにエルサレム市街において始まり、そこでイエス様が公の場で十字架にかけられ、そして埋葬されました。

さて、これ自体が、復活は実際に起こったということの証拠の一つに十分数えられるものです。なぜでしょうか?

なぜなら、もし墓が実際に空になっていなければ、そしてもしイエス様が十字架にかけられた後も生きておられるのをユダヤ人が見ていなければ、たとえ人々に悔い改めよ、よみがえられたお方に信仰を置きなさい、と呼びかけても、ユダヤ人の間に相当数の信奉者を見出すことにはつながらなかったに違いないからです。

もしその墓にいまだに遺体があるのならば、よみがえられたお方のメッセージは、エルサレムにおいて1日さえも語り継がれることはなかったでしょう。

イエス様の弟子たちは、キリストが死からよみがえられたことを宣べ伝えるために、アテネやローマに逃れることはしなかったことを思い出してください。(そんな遠くへ行けば、事実を検証することができなくなるからです。)

彼らは、すぐにエルサレム市街に戻って行きました。そこは、もしも彼らの教えが間違ったものであれば、すぐに明るみになり否定されるであろう場所です。

批判する人たちはこう言うこともできたでしょう。「ほらみてみ!ここに墓もあるし、ここにイエス様のご遺体もあるやないか!」

そんなことになれば、全ての活動は丸潰れになり、キリスト教が布教されることは決してなかったでしょう。

でも、そんなことにはなりませんでした!

キリスト教は、エルサレムで起こったばかりか、そこで栄えました!

ルカの書いた聖書箇所は、これまでに聖書を擁護する数多くの書物と、考古学的な発見によってその信憑性が確証されています。ルカは、イエス様がよみがえられた50日の後、復活から初めての説教が墓から歩いてたった数分のところで説かれ、その時、3,000人の人々がその場で信じたことを私たちに教えてくれています。(使徒の働き 2:41)

紀元1世紀におけるルカのこの言い分は、もし彼の目算が正確なものでなければ、直ちに信用を失っていたことでしょう。

使徒の働き4:4において、エルサレムの初期教会は5,000人の信者たちで構成されていたとルカは宣言しています。

今日でさえも、それは巨大な教会とみなされることでしょう。

そして、さらに多くの人が改宗してやってきたのです!

使徒の働き6:7において、弟子たちの数は「エルサレムで大いに増え続けた」とルカは言います。

どうやら、その時点で、彼らにはもはや数えることができなくなったようです!

キリスト教は、エルサレムから始まり栄えただけでなく、数多くの敵対する思想を打ち負かし続け、ついにはローマ帝国全体を圧倒するようになりました。

歴史家たちは、4世紀初頭には、およそ3千万人のクリスチャンがいるようになったと言っています。

エルサレムでキリスト教が起こったことが、なぜ復活を確証する強力な証拠となり得るのか、皆さんの理解を助けるために、次の例えをお示ししたいと思います。

2022年7月8日の金曜日、奈良で何が起こったか、覚えておられる方はいらっしゃいますか?

その日、安倍元首相が暗殺されました。

もちろん、そのニュースは世界中で報じられました。ものの数分もたたないうちに、何百万人もの、あるいは何十億人もの人々にそのニュースは伝わりました。

さて、質問です。その悲劇的な事件の数週間後、安倍さんが金曜に確かに死んだが、日曜に生き返ったと人々を信じさせようとするとしたら、それがどれほど難しいことだろうと思いますか?

そんなこと、ほぼ不可能ですよね?もしかすると数名の人々を説き伏せることはできるかもしれませんが、もしあなたが何百人もの人々を説得しようとしたら、とてつもない苦労をすることになるでしょう。

なぜでしょうか?

なぜなら、安倍首相が生き返ったという話に少しでも耳を傾けてみようかと考える以前に、人々はまず、自分のその目で生きている彼を見なければならないと思うだろうからです。

そしてそれは、2,000年前であっても同じことが言えるのです。

しかし、イエス様が十字架にかけられた直後の時代、(イエス様の十字架が新約聖書以外のローマ人やユダヤ人の歴史家によって確証されていることに加えて、)エルサレムに住んでいた何千ものユダヤ人の人々は、イエス様が死なれたことを知っており、そして突然、墓からよみがえられたことを知って、そして納得したのです。

人は普通ならこれを、どのように説明するでしょう?

批判する人たちが、何らかの持論を持ち出したら、それに応じることもできます。でも最も良い説明は、イエス様はよみがえられたのだ、ということです。

当時の人々は、イエス様を実際に見たのです!

使徒の働き 1:3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。

1コリント 15:3-8 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。7 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。

以上が、イエス様が十字架にかけられてから後、なぜそんなにも短期間の間に、5,000人以上の人々がエルサレムの教会に加わるようになったのかの説明となります。

何百人もの信頼できる人々が、よみがえられたキリストを個人的に見たり聞いたりしたことを証しました。

奇跡を働かせる救い主は、その時までに既に数多くの人々に親しまれるようになっていましたが、ご自身の死をも打ち破られたのです!

ですから、イエス様が墓からよみがえられたことを示す証拠として最初のものは、キリスト教がエルサレムにおいて突然におこったということです。

疑う人たちはこう言います。「ちょお待ってーや、ジョセフ、イエス様の600年後、イスラム教がおこって、むしろそっちの方がすぐに広まったんとちゃうん!」

まあ、その通りです。しかしイスラム教の普及は、奇跡を目撃した人々とは何の関係もありません。

ムハンマドは奇跡を行う人ではなかったことを、コーランそのものが明確に示しています。

イスラム教は、どのようにしてそんなにも急速に広まることができたのでしょうか?

イスラム教が刀による、武力行使によって広まったことは、否定できない歴史的事実です。人々は、改宗するか、死ぬかの選択を迫られました。

キリスト教の普及とは程遠い違いです。

キリスト教は、最初の3世紀にわたり、単純に福音が宣べ伝えられ、人々が罪を悔い改めて、よみがえられた救い主に信仰を置くようにと呼びかけられることを通して、普及しました。

実際には、クリスチャンたち自身が、その信仰のゆえに死に至らしめられました!

その事実についてお話しするために、「キリストはよみがえられた」という単語の頭文字から始まる5つの証拠の2番目に移りたいと思います。

(I)よくぞ耐えた。弟子たちが受けた信じがたいほどの迫害と死

イエス様が捕らえられて、十字架刑へと引かれたとき、弟子たちがとった行動を福音書は伝えています。

  • 恐れて、逃げた (マタイ 26:56)
  • 隠れた (ヨハネ 20:19)
  • 希望を失った (ルカ 24:21)

それから間もなくして、何か驚くべきことが起こったことを、私たちは聖書の中に見出します。

これらの恐れをなしたのと同じ人たちは、劇的な変化を経験します。

イエス様が十字架にかけられてから数週間のうちに、これらの同じ人たちは、彼らの指導者を十字架にかけた人々と向き合って立ち、彼らに悔い改めをとき、イエス様が生きておられることを大胆に語ったのです。(使徒の働き 2:36-38)

この信仰が広まるのを阻止するため、イエス様を十字架にかけたのと同じ権威者たちは次のことをしました。

  • 弟子たちを脅した
  • 弟子たちを鞭打ちにした
  • 弟子たちを殴った
  • 弟子たちを投獄した
  • 弟子たちがイエス様の名前を語ることを禁じた(e.g., 使徒の働き 4:16-18, 5:28)

それで、弟子たちはどうしましたか?彼らは権威者たちに言いました。「人に従うより、神に従うべきです。」(使徒の働き 5:29)

クリスチャンが政府の役人に対して立ち上がり、彼らの命令に従うのを拒むのは正当である時があります。

例えば、政府の役人が次のようなことをするときです。

  • 神様が私たちにしなさいと命じられていることを、阻止しようとするとき
  • 神様が私たちにしてはいけないと命じられていることを、強制しようとするとき

初期の弟子たちはこのことを知っていました。だから彼らは、役人たちに「人に従うより、神に従うべきです。」と言ったのです。(使徒の働き 5:29)

私は、福音を発信しようとする彼らの勇気と献身が大好きです!しかし彼らの勇気には、代償が伴いました。

フラウィウス・ヨセフス、エウセビオス、テルトゥリアヌス、その他の独立した聖書外の書物は、使徒たちを含むイエス様の初期の信者たちの多くが、その信仰から離れずにイエス様が主であり、死からよみがえられたことを宣べ伝え続けたために、激しい迫害と死に苦しんだことを記録しています。

これらの聖書外の書物から、次のことがわかります。

  • マタイは、エチオピアの市街地で、刀で斬り殺された。
  • マルコは、北エジプトのアレクサンドリアで、市街の通りを無残に引きずりまわされた後に死んだ。
  • ルカは、ギリシアの地で、オリーブの木に吊るされて死んだ。
  • ヨハネは、拷問され、パトモス島に流刑となった。(黙示録 1:9)
  • ヨハネの兄弟ヤコブは、エルサレムで斬首刑となった。(使徒の働き 12:2)
  • (マルコ15:40に記録されている)小ヤコブは、神殿の頂上から突き落とされた。
  • ピリポは、(現在のトルコ中西部の)フリュギア地方の都市ヒエラポリスで柱に吊された。
  • バルトロマイは、生きたまま皮がむけるまで鞭打たれた。
  • アンデレは、十字架ゆきとなり、死ぬまで放置された。
  • ユダは、矢に打ち抜かれて死んだ。
  • イスカリオテのユダの交代として使徒に選ばれたマッテヤは、最初に石打ちとなり、その後、斬首された。
  • バルナバは、サロニカの地で、ユダヤ人の石打ちによって死んだ。
  • パウロは、一連の拷問と投獄の後、最終的にローマで斬首刑となった。
  • トマスは、東インドで、体に槍を突き通された。
  • ペテロは、ローマで、逆さ十字架にかけられた。

これらの人たちが福音を発信するために耐えたことを聞くと、本当に厳粛な気持ちになりますよね。

これらの人たちが、イエス様の復活を発明したと考えるのは理にかなっていますか?そんなこと信じるのは難しいですよね。

でもこんなことを言う人もいるかもしれません。「人々はどの時代にも、おかしなことについて話を作り上げるものだ!」はい、確かに、お金儲けをしたり、問題から逃れるためにそうする人はいます。

しかし、初期のクリスチャンがイエス様について言ったことは、彼らが問題から逃れたり、何かの利益につながることにはなりませんでした。これらの人たちがイエス様について言ったり書いたことは、彼らをむしろ問題の中に引き込みました。

彼らが受け取ったものは、人々の拒絶、迫害、拷問、そして殉教です。何かの特典リストとは程遠い結果です!

次に、R.I.S.E.N.の3つ目の頭文字Sに進みましょう。

③(S)たくさんの(何千人もの)ユダヤ人により、その信仰と行いが変えられた

イエス様が死なれて間もなく、エルサレムと周囲の地方の何千人ものユダヤ人が、少なくとも5つの尊ばれた信仰と行いを捨てはじめました。

彼らが捨てた信仰と行いは、彼らが子ども時代からラビ(教師)たちや両親に教え込まれたものでした。

それらの信仰と行いは、彼らの国民としてのアイデンティティであり、彼らはそのようにして社会から受け入れられることをゆるされました。

それらの信仰と行いは、神とともに立つ正当性を彼らに与えるものでした。何千人ものユダヤ人が捨て始めたのは、どのような信仰と行いだったのでしょうか。

神殿に、いけにえをささげる行い

何千人ものユダヤ人は、彼らの罪を覆う方法として、家族が代々、何世紀にもわたって神殿に動物をいけにえとしてささげてきましたが、彼らは突然にその行いをやめました。

なぜでしょうか?一体何が、そのような態度の大きな変化を説明しうるでしょうか?

彼らは、イエス様が「世の罪を取り除く神の子羊」であることを認識したのでした。(ヨハネ 1:29, 36).

彼らには、それらの旧約聖書のいけにえは全て、(ヘブル 10:1にあるように)「後に来るすばらしいものの影にすぎない」つまり神がそのひとり子の死を通して達成されることの影にすぎない、ということがわかったのです。

彼らは、神殿の垂れ幕が奇跡的に上から下に向かって、真っ二つに裂けたことを聞きました。(マルコ 15:38)

彼らは、イエス様が彼らに、神殿が破壊されようとしていることを告げたのを覚えていました。(マタイ 24:2; ルカ19:44)

それで、彼らは、状況は変わったのだと認識しました。

彼らは、自分たちは神との新しい契約のもとに生きているとの自覚を持ちました。イエス様が十字架にかけられる前夜、彼らに告げた新しい契約のことです。

もし彼らがしくじったら、いけにえのしきたりを捨てることは、彼らの社会的また霊的な福利を危険にさらすことになったでしょう。

それでもなお、何千人ものユダヤ人は、まさにそのことをし始めました。そして彼らは、それだけで終わりませんでした。

何千人ものユダヤ人が次に変え始めたことは. . .

安息日の礼拝を土曜日から日曜日に変えた

ユダヤ人にとって、安息日は身体的な労働を休む日というだけでなく、会堂で集まり、ともに神を礼拝し、聖書を学ぶ日にもなっていました。

彼らは、実に1,500年もの間、1週間の7日めである土曜日に、その行いを続けてきました!

しかし今や、ほとんど夜通し、何千人ものユダヤ人は、新しい日に集まりはじめました。その日は、(使徒の働き 20:7; 1 コリント 16:2にあるように)1週間の初めの日であり、(また黙示録 1:10にあるように)彼らが「主の日」と呼び始めた日です。

なぜ彼らはその日を「主の日」と呼んだのでしょうか?

なぜなら、1週間のうちその日、イエス様が死からよみがえられたからです。(マタイ 28:1)

だから、弟子たちを含む何千人ものユダヤ人は言ったのです。「私たちのよみがえりの主を記念して、その日に集まることにしようではないか!」

使徒の働き(15章)では、彼らの集まりは異邦人たちにさえも開かれるようになったと記されています!

初期教会をつくりあげたこれらのユダヤ人たちは、救い主が来られたことによって、その死と復活とを持って、神様との新しい関係の道が切り開かれたことを信じました。

すなわち、神殿にいけにえを捧げることやモーセの律法を守ることによってではなく、復活された救い主による命を与える助けに基づいて、神様との新しい関係がもてるようになりました。

これほど多くのユダヤ人が進んで彼らの昔の信仰と行いを捨てたという事実が、イエス様の復活が実際におこったことの3つ目の証拠です!

さて、明らかに、これについてもっと多くを語ることはできますが、R.I.S.E.N. の次の頭文字Eに進みます。

④(E)しょうこがしめす聖書のしんらい性

復活は、誰か古代の詩人によって書かれた神話のようなお話ではありません。

復活の事実は、紀元1世紀のイエス様の生涯の話が、歴史的に正確で、かつ信頼できる証言として語り継がれてきたものです。

新約聖書をまとめあげている書物は、次のものによって確証されています。

  • 聖書外の、世俗の歴史書物
  • いくつもの考古学的発見
  • 他にもたくさんあります。

聖書外の歴史的な情報源は、新約聖書でイエス様について記録されている百以上の詳細な記述を確証しています。

例えば、フラウィウス・ヨセフスの書いたものを考えてみましょう。

彼は、紀元1世紀にローマ帝国に仕えたユダヤ人の歴史家です。

彼は、新約聖書の福音書に記されている12人以上の個人について記録しています。その中には、洗礼者ヨハネ、ヘロデ大王、ポンテオ・ピラト、カヤパ、そしてイエス様も含まれています。

ヨセフスがイエス様について何と書いたか見てみましょう。

「この時代、イエスと呼ばれる賢者がいた。彼の行いは良く、高潔な人として知られていた。ユダヤ人や他の国民のうちから多くの人々が彼の弟子になった。ピラトは彼を非難し、十字架にかけて死なせた。彼の弟子になった人たちは、弟子であることをやめなかった。そして彼らは、イエスが彼らの前にあらわれたこと、そして彼が生きていると報告した。ユダヤ古代誌、第18書、第3章:63-64節

この引用ひとつをとっても、イエス様がどんなお方であったか検証することができます。

  • 実際の人であった。
  • 高潔な、徳の高い人であった。
  • 多くの弟子たちがいた。
  • ピラトによって死に至らしめられた。
  • 彼の死後、生きておられると宣言された。

それでは速やかに、R.I.S.E.N. の5番目で最後の頭文字Nに進み、イエス様が墓からよみがえられたことを自信を持って確証できる理由を見ていきます。

⑤(N)よみがえりを疑うどの理論も、空になった墓を説明できない

疑いを持つ今日の学者でさえも、イエス様の墓は空っぽだったことを認めています。

先に言いました通り、もしイエス様の墓にいまだに遺体があったなら、キリスト教の普及はあり得ません。

ローマの権威ある人たちあるいはユダヤ人指導者たちは、ただ墓に行って遺体をエルサレムの下町に引き回し、皆にそれを見せることでキリスト教を信じる動きを潰してしまうこともできたでしょう。

ですから、墓は空だったのです。

それが今日の歴史家たちに広く認識されていることです。しかし批判する人たちは、別の理論を持ち出して空の墓を説明しようとします。そのいずれも、説得力はありません。

彼らの理論のいくつかを簡単に見てみましょう。

「イエス様は作り話」論

聖書を批判する人たちの中には、「墓が空だったのは、彼が最初から存在さえしていなかったからだ」という人がいます。

さて、尊敬されている歴史家にも学者のうちにも、こんなことを主張する人はいません。

しかし「イエス様は作り話」論は、昨今インターネット上で勢いを増しています。

イエス様がそもそも存在しなかったという考えには、何の根拠もありません。なぜでしょうか?

彼について語っている新約聖書の27の書物に加えて、彼について語っている聖書外の情報源が豊富に揃っています。

ご存知でしたか?

イエス様は、その生涯から150年以内の間に、聖書外の30人以上の著者によって引用されています。

  • Flavius Josephus 
  • Cornelius Tacitus
  • The Jewish Talmud
  • Suetonious など

これらの証拠が、イエス様は実在の歴史的人物だったことを証明しています。

イエス様に関して、彼の生涯を記した独立したお話、またイエス様の母語で最初に記された情報源が、彼の人生からたった数年間のうちに書かれたのを無数に見ることができます。

そのような歴史的な情報源は、古代のどんな類の人物にしても非常に驚くべきものです。イエス様が作り話だというような主張は、一瞬にして地に落ちます。

ですから「イエス様は作り話」論は、空っぽの墓を説明する考えとしても完全に失敗です。確かに、彼は存在したのですから!

空っぽの墓を説明する2つ目の考えは. . .

「遺体は盗まれた」論

この論が提案しているのは、エルサレムで墓が空だったのは、イエス様の弟子たちが遺体を盗んだからだというものです。

しかし、「盗まれた遺体論」は、いくつかの難しい質問を提起します。

弟子たちはどうやって、遺体を盗み出したのか?

それができるには、武装され、訓練されて派遣されたローマの番兵をかいくぐり、入り口の石になされたローマの封印を破らなければならなかったでしょう。

そして、番兵に見つかることなく、墓の入り口の2トンの石を脇へ転がさなければならなかったでしょう。

もちろん、(マタイ 27:65にある通り)そのようなことがないようにとピラトが墓に配置したローマの番兵たちは、物音を聞いたらただちに、遺体を盗もうとする試みを阻止したことでしょう。

ローマの番兵たちは、防御と殺害の術においては非常に訓練されていました。

(マタイ 26:56で)イエス様が捕らえられた時、恐れをなして逃げ出した弟子たちが、自分の命を危険にさらしてまで、たった3日前にイエス様を処刑した人たちから遺体を盗もうとするなどとは、とても考えられません。

「盗まれた遺体論」がもたらすもう一つの難題は、もし弟子たちがイエス様の遺体を盗もうと考えたのなら、それはなぜか?ということです。

遺体を盗むことで、彼らにとって何か良いことがあったでしょうか?

弟子たちがただ不自然な教えを説くことで苦しむために、イエス様の遺体を盗み出したのだと考えることは理にかなっているでしょうか?そうとは考えにくいですね。

また、もし彼らがその手に遺体を抱えていたのなら、彼らは一体どうやって、何千人もの人々に彼が墓からよみがえったことを説きあかすことができたでしょうか?

記者会見のときの助けになるかもしれませんが、イエス様についての全ての質問に答える事はできるでしょうか?

明らかにうまくいきません。ですから、「盗まれた遺体論」は控えめに言っても、説得力がありません。

私たちは皆な、陰謀論について次のことを知っています。陰謀論は、共謀者がたくさんいすぎて、もし撤回しなければ関与する人々が本当の危険にさらされることに直面するとき、崩れさります。

しかし、クリスチャンを迫害する人々がしばしば目的としていた福音の撤回は、弟子たちのどの古い記録の中にも、私たちが一つも見つけることはありません。

ですから「盗まれた遺体論」は、とてもありそうにないことです。

幻覚論

この理論は、初期のクリスチャンたちは幻覚を見ていて、彼らはイエス様が十字架にかけられた後に彼が生きているのを見た、と思っただけだ、ということを提案するものです。

この理論にも、説得力はありません。

薬物を使用していない人にとって、幻覚を見ることは非常に稀です。

そして、幻覚を見ている間に人々が見たり経験するものは、広く異なります。

人々が大きな集団で同じ幻覚を見たという話は、誰も聞いたことがないでしょう。

ですから、(薬物は使用していなかったと思われる)何百人ものユダヤ人の人々が、復活した救い主と出会って関わりを持つというような似通った幻覚を見たと主張するのは、大変問題のあることです。

幻覚論のもう一つの問題は、もし弟子たちがただ幻覚を見ていたのなら、宗教指導者たちやローマの権威ある人たちは、イエス様の遺体を墓から引きずり出して、事実をあらわにすることもできたでしょう。

しかし彼らにはそれができませんでした。墓が空だったからです。

それでは、次の理論です。

「復活論」か「気絶論」か

簡単に言えば、この理論は、イエス様は実は十字架上で死んでいなかったというものです。

彼はむしろ、ただ気絶していて、十字架にかけられていた間、意識不明状態だったというのです。

そして後に、彼が墓の中にいた間に、彼は体の負傷から回復し、蘇生し、頭から爪先までくるまれていた亜麻布から抜け出し、1.5から2トンの石を入り口から脇に転がしたというのです。

これは多くの点で、非常に考えにくい理論です。

しかし、イエス様が見せかけではなく、本当に死んだという証拠のうち一つだけに焦点をあてて、要点を説明したいと思います。

使徒ヨハネによる十字架の目撃証言の箇所を見てみましょう。

ヨハネ 19:34-35 しかし兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、すぐに血と水が出て来た。35 これを目撃した者が証ししている。それは、あなたがたも信じるようになるためである。その証しは真実であり、その人は自分が真実を話していることを知っている。

「血と水が出て来た。」

医学的に、血液量が減少したショックで起こる動悸が続くと、心肺を囲む袋の中に体液が集まることが知られています。

心臓を囲む膜の中に集まったこの体液は、心嚢液貯留(しんのうえきちょうりゅう)と呼ばれ、肺を囲む膜の中に集まった体液は、胸水(きょうすい)と呼ばれています。

これが、イエス様が死なれた後にローマ兵がイエス様の脇腹を突いて、肺と心臓の両方を槍で突き通したときに、ヨハネが彼の福音書で記録した通りに血と水がイエス様の脇腹から出てきたことの説明となっています。

さて、ヨハネは、相当頭が良かったために、当時はほとんど知られておらずその後の1800年の間も発見されなかった生理学的事実を記録に残すことができたか、あるいは、彼はただ自分が見たことを報告したに過ぎないかの、どちらかです。

ヨハネの目撃証言の結果、イエス様は実際に心停止して死なれたということ、そして十字架から取り下ろされた時点で死んでおられたということを確証する、隠された科学的証拠を私たちは得ることができました。

医学的には、 グッドフライデーのこの試練をイエス様が生き延びたということは考えられません。

それでは、復活を信用できないものにしようとする試みが、なぜそんなにも多くなされるのだと思いますか?

なぜなら、イエスキリストの福音の全ては、完全に復活にかかっているからです。

パウロは次のように説明しています。 

1コリント 15:17-19 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。18 そうだったら、キリストにあって眠った(:肉体が死んだ)者たちは、滅んでしまったのです。19 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、(付け加えると、「私たちには永遠の命への復活の望みはなく、」)私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

どうして一番哀れなのでしょうか。それは、パウロがこの手紙を書いたときには、キリスト教は社会に受け容れられておらず、また政治的に正しくなかったからでしょう。

キリストに従うことは、当時の人々にとってたいせつなもの、すなわち家族、友人、地域の仲間、仕事、また命そのものさえも、失うことを意味していました。

ですから、もしキリストが蘇らないとしたら、キリスト信仰者たちは、信仰のために犠牲にしたことすべてが無駄になってしまい、「すべての人の中で一番哀れな者」だというわけです。  

しかし!

1コリント 15:20しかし、今やキリストは、(眠った者の初穂として)死者の中からよみがえられました。

このみことばの一節は、2000年以上も、世界中で、復活の日曜日を祝う挨拶として用いられています。

キリストはよみがえられた!

それに返す言葉は、 

確かによみがえられた!

:)~