マタイ 21:23 それからイエスが宮に入って教えておられると、祭司長たちや民の長老たちがイエスのもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」24 イエスは彼らに答えられた。「わたしも一言尋ねましょう。それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう。25 ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか、それとも人からですか。」すると彼らは論じ合った。「もし天からと言えば、それならなぜヨハネを信じなかったのかと言うだろう。26 だが、もし人から出たと言えば、群衆が怖い。彼らはみなヨハネを預言者と思っているのだから。」27 そこで彼らはイエスに「分かりません」と答えた。イエスもまた、彼らにこう言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。28 ところで、あなたがたはどう思いますか。ある人に息子が二人いた。その人は兄のところに来て、『子よ、今日、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。29 兄は『行きたくありません』と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。30 その人は弟のところに来て、同じように言った。弟は『行きます、お父さん』と答えたが、行かなかった。31 二人のうちのどちらが父の願ったとおりにしたでしょうか。」彼らは言った。「兄です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。32 なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。33 もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がいた。彼はぶどう園を造って垣根を巡らし、その中に踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。34 収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうとして、農夫たちのところにしもべたちを遣わした。35 ところが、農夫たちはそのしもべたちを捕らえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちにした。36 主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしたが、農夫たちは彼らにも同じようにした。37 その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。38 すると農夫たちは、その息子を見て、『あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれの相続財産を手に入れよう』と話し合った。39 そして彼を捕らえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまった。40 ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」41 彼らはイエスに言った。「その悪者どもを情け容赦なく滅ぼして、そのぶどう園を、収穫の時が来れば収穫を納める別の農夫たちに貸すでしょう。」42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書に次のようにあるのを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。』43 ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。44 また、この石の上に落ちる人は粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。」45 祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちについて話しておられることに気づいた。46 それでイエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。

ヨハネ 7:46 下役たちは答えた。「これまで、あの人のように話した人はいませんでした。」
ヨハネ 5:39-40 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
ルカ 19:14 一方、その国の人々は彼を憎んでいたので、彼の後に使者を送り、『この人が私たちの王になるのを、私たちは望んでいません』と伝えた。
ヨハネ 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
マタイ 28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
アモス 8:11 見よ、その時代が来る。──【神】である主のことば──そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、【主】のことばを聞くことの飢饉である。
2コリント 6:2 神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。
ヘブル 3:15 「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。
箴言 28:13 自分の背きを隠す者は成功しない。告白して捨てる者はあわれみを受ける。
2コリント 7:10 神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
2ペテロ 3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
エゼキエル 18:21 しかし、悪しき者でも、自分が犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべての掟を守り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きる。死ぬことはない。
イザヤ 1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。──【主】は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
エゼキエル 33:31 彼らは群れをなしてあなたのもとにやって来る。そして、わたしの民はあなたの前に座り、あなたのことばを聞く。しかし、それを実行しようとはしない。彼らは口で甘いことばを語り、心で利得を追っている。
マタイ 15:8 『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
ヤコブ 1:22 みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。
イザヤ 5:4 わがぶどう畑になすべきことで、何かわたしがしなかったことがあるか。なぜ、ぶどうがなるのを心待ちにしていたのに、酸いぶどうができたのか。
エレミヤ 38:6 そこで彼らはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの穴に投げ込んだ。彼らはエレミヤを綱で降ろしたが、穴の中には水がなく、あるのは泥だったので、エレミヤは泥の中に沈んだ。
2歴代誌 24:21 ところが、彼らは彼に対して陰謀を企て、王の命令によって、【主】の宮の庭で彼を石で打ち殺した。
ヘブル 11:36-38 また、ほかの人たちは嘲られ、むちで打たれ、さらに鎖につながれて牢に入れられる経験をし、37 また、石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、困窮し、圧迫され、虐待されました。38 この世は彼らにふさわしくありませんでした。彼らは荒野、山、洞穴、地の穴をさまよいました。
ヘブル 1:1-2 神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、2 この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。
ヘブル 13:12 それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
ヨハネ 10:18 だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」
使徒の働き 17:31 なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」
ローマ 11:22 ですから見なさい、神のいつくしみと厳しさを。倒れた者の上にあるのは厳しさですが、あなたの上にあるのは神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り取られます。
1コリント 4:2 その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。
詩篇 118:22-23 家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。23 これは【主】がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。
使徒の働き 4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
詩篇 51:17 神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。
ヨハネ 5:40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
箴言 29:25 人を恐れると罠にかかる。しかし、【主】に信頼する者は高い所にかくまわれる。
ヘブル 3:15 「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。

聖餐式: 最後の晩餐で、イエスは弟子たちにパンを割いて食べさせ、ワインの入った杯を回して飲ませながら、「わたしを記念してこのように行いなさい」と言いました(ルカ 22:19-20)。
パンはイエスの十字架で裂かれた体を象徴し、ぶどう酒は罪の赦しのために流された血を象徴します。この行為は単なる儀式ではなく、イエスの犠牲を思い出し、感謝し、愛を再確認し、イエスのために生きる決意を新たにする時間です。イエスを信じるすべての人が参加でき、イエスが与える愛と恵みを体験できる招待です。
