マタイ 22:34 パリサイ人たちはイエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、一緒に集まった。
マタイ 22:35 そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
マタイ 22:36 「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
マタイ 22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
マタイ 22:38 これが、重要な第一の戒めです。
マタイ 22:39 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
マタイ 22:40 この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

1ペテロ 1:19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
ヘブル 9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように。
マタイ 7:13–14 「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道も細く、それを見出す者はわずかです。」
エペソ 3:20 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが求めるところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に。
エペソ 4:15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点で成長し、かしらであるキリストに達することを目指すのです。
ヨハネ 11:25 イエスは彼女に言われた。『わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。』
申命記 25:5–10 「兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が死んで子がない場合、その死んだ者の妻は、家の外の他人のところへ嫁いではならない。その夫の兄弟が彼女のところに入り、彼女を妻に迎えて、義兄弟としての務めを果たさなければならない。」
詩篇 68:5 みなしごの父、やもめのさばき人、それが聖なる御住まいにおられる神。
イザヤ 55:8–9 「わたしの思いは、あなたがたの思いとは異なり、あなたがたの道は、わたしの道とは異なる──主のことば──。天が地よりも高いように、わたしの道はあなたがたの道より高く、わたしの思いはあなたがたの思いより高い。」
エレミヤ 32:17 『ああ、神、主よ。あなたは大いなる力と伸ばされた御腕をもって天地を造られました。あなたにできないことは一つもありません。』
マタイ 20:18–19 「さあ、わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし人の子は三日目によみがえります。」
2テモテ 3:7 学んでも学んでも、決して真理の知識に到達することができません。
マタイ 4:6 こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
創世記 1:1 はじめに神が天と地を創造された。
エペソ 5:31-32 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
マタイ 17:3 すると見よ、モーセとエリヤが彼らの前に現れて、イエスと語り合っていた。
1コリント 15:42-44 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされます。44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
ピリピ 3:20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
2テモテ 3:16 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
出エジプト 3:6 また神は仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を見ることを恐れて顔を隠した。
申命記 32:39 「今見よ。わたし、このわたしがそれである。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、また癒やす。わたしの手から救い出せる者はいない。」
創世記 22:5 アブラハムは若い者たちに言った。「あなたがたは、ろばと一緒にここに残っていなさい。私と子どもはあそこへ行って礼拝し、それから、あなたがたのところに戻って来る。」
創世記 22:8 アブラハムは言った。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。
創世記 21:12 神はアブラハムに仰せられた。「その子やあなたの女奴隷のことで悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクにあって、あなたの子孫が起こされるからだ。」
ヘブル 11:19 アブラハムは、神には人を死者の中からよみがえらせる力がある、と考えました。それで彼は、比喩的に言えば、イサクを死者の中から取り戻したのです。
ヨハネ 11:25-26 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者はみな、決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」

聖餐式: 最後の晩餐で、イエスは弟子たちにパンを割いて食べさせ、ワインの入った杯を回して飲ませながら、「わたしを記念してこのように行いなさい」と言いました(ルカ 22:19-20)。
パンはイエスの十字架で裂かれた体を象徴し、ぶどう酒は罪の赦しのために流された血を象徴します。この行為は単なる儀式ではなく、イエスの犠牲を思い出し、感謝し、愛を再確認し、イエスのために生きる決意を新たにする時間です。イエスを信じるすべての人が参加でき、イエスが与える愛と恵みを体験できる招待です。
